秋田といえば浮かぶものは何でしょうか。もちろん「地酒」もありますが、「なまはげ」「きりたんぽ」そして「秋田美人」が挙げられることが多いようです。その秋田美人を語るうえで欠かせない、世界3大美人といわれた伝説の歌人小野小町は、秋田県雄勝郡(現 湯沢市)が出生地と伝えられています。お米の有名な品種「あきたこまち」や、秋田新幹線「こまち」などの愛称は、この小野小町に由来するものです。
明治の終わりから昭和の初めにかけての鉱山産業が盛んだった時代、秋田を訪れた多くの文人たちが、秋田市の繁華街「川反(かわばた)」の芸者衆を指して言ったのが始まりと言われているようです。
大正浪漫を代表する、美人画で有名な画家竹久夢二のモデルであったお葉さんは、秋田県河辺町(現 秋田市)の出身でした。また大正5年(1916年)に歌人若山牧水は東北地方を旅し、秋田に初めて足を踏み入れ、噂に高い秋田美人に出会って“名に高き 秋田美人ぞ これ見よと 居ならぶ見れば 由々しかりけり”(秋田美人とはよく聞くが、実際に見ると確かにそのとおりの美人だった)と詠んでいます。
秋田の女性の美しさは、昔から「秋田音頭」「ドンパン節」など数多くの民謡でも歌われてきました。いわゆる秋田美人とは、色白で背が高く、瓜実型と丸型の中間でやや面長、目は細く切れ長、口は小さく、鼻筋が通っている。肌はきめ細かく、その色は白色人種にも劣らない、などとされています。
肌の美しさは科学的にも実証があり、秋田県湯沢市の杉本元祐医学博士の調査によると、皮膚色の白度が全国平均22.6%(白人は40.5%)に対し、秋田県平均では29.6%、さらに県南部では30.5%であったそうです。また、都道府県別の年間日照時間は秋田県が全国で最下位というデータもあり、紫外線の量があきらかに少ないとみられます。さらに、湿度の変化も少ないことから、秋田の女性は色白できめ細かい肌であることを立証できるといえます。
秋田大学名誉教授の新野直吉文学博士は、著書「秋田美人の謎」で“奈良時代には渤海国(満洲から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国家)の使者が能代に上陸したことが「続日本紀」に記されている。当時渡って来た大陸人はモンゴル人、ツングース系統の人種だったが、世界でも美人種といわれるコーカサス人もいた。秋田美人は日本海を夢のかけ橋として結ばれた世界一の美人種との混血で生まれたのです”と記しています。また秋田美人は『地理的環境による形質的素因、風土の持つ気象的条件、それらに加えるに歴史的刺激などの恩恵を享けて、形成されてきたもの』としています。
前述した杉本医学博士は岩手県の出身で、秋田県湯沢市で開業した医師でしたが、秋田で暮らす女性の皮膚の白さに興味を持ち、科学的に分析した調査結果をまとめた「秋田美人を科学する」の中で、『秋田の美形については、郷土史家も、その他の学者諸氏も、私も、やはり混血(日本海側へ漂流し漁場を追い求めた北方民族、またツングース族、アイヌ、そして先住民族、こうした民族の結びつき)が生んだ奇跡的美の産物であろうとも推察する』と結んでいます。
このように自然環境説や混血説のほか、麹を使用した食習慣との関連説、17世紀の藩政時代の水戸や京都からの美人移住説など諸説あるのですが、はっきりと解明されておらず、現在も謎に包まれたままなのです。
■参考文献
「秋田美人の謎」 新野直吉
「秋田美人考」 庭野藪椿