新着情報
INFORMATION
秋田県酒造協同組合からのお知らせや、加盟している酒蔵からのお知らせ一覧です。
2014/01/29
美酒王国秋田の歴史③
明治までは秋田に限らず酒造技術の伝承は各蔵元が口伝えあるいは実地指導で行われていましたが、明治末期になり、科学に基づいた新技術が日本醸造協会の講習会等によって全国で広く普及することになりました。 明治31年(1898年)、湯沢の伊藤隆三(二代目忠吉)らが大蔵省醸造試験所の第1回酒造講習会を受講して新技術の研修を受け、その技法を寒冷地向きに改良して県内の蔵元に伝えた結果、秋田酒の酒質は格段に向上しました。そして明治40年(1907年)には伊藤仁右衛門醸造の「両関」「庭の井」が、日本醸造協会主催の第1回全国清酒品評会において一等賞を受賞し、業界に初めて秋田酒の名を掲げました。これが県内蔵元の大きな希望と刺激となり、また全国的にも注目されるところとなったのです。 各団体で開催されるようになった品評会での受賞によって市場での格付が明確になり、それが販売に影響したことからも蔵元の品質向上に対する意欲はさらに高まっていきました。 こうして、蔵元の企業家としての自覚と努力、後継者や杜氏蔵人への教育等、経営の改善と向上に積極的な姿勢で臨むことが必要な時代を迎えたのです。
2014/01/22
美酒王国秋田の歴史②
17世紀、県北の小坂、尾去沢鉱山のほかに県南には我が国最大の銀山といわれた院内銀山がありました。 慶長11年(1606年)に銀が発見されると、全国から技術者、労働者、大工、商人たちが集まって大規模な町を形成し、7,000人余りの人々が働き、周辺住民を含めると当時の佐竹藩の城下町である久保田(現 秋田市)を凌ぐ盛況をみたと伝えられています。
2014/01/15
美酒王国秋田の歴史①
「米の秋田は酒のくに」である本県は、全国有数の米どころであり、清酒の生産量と消費量の両面で突出した、まさに「美酒王国」です。 交通機関や文化的な面で決して恵まれているとは言えない地域にありながら、今日の「美酒王国」の地位を確立できたのは、先人たちの幾多の努力と時代の進展に適応した施策が不可欠であったということは言うまでもありません。 秋田県は寒冷積雪の冬が長いこともあり、昔から酒の消費量が多い土地でした。また、米産地として原料米の確保が容易であり、さらには良質な水源や気候風土等、酒造りの条件に大変恵まれていたため、県内各地に多くの酒造業が興りました。
2014/01/08
秋田の酒造り工程
日本酒は、「お米を発酵させて造られる醸造酒」です。 発酵とは、酵母が糖分を食べてアルコールを出すこと。しかしお米には糖分はありませんから発酵しません。したがって日本酒は、まずお米を糖分に変え、そこに酵母を加えて発酵させるという、きわめて巧妙・複雑なしくみによって造られるのです。 製法にバリエーションはありますが、ここでは秋田流寒造り(低温長期醗酵法)の吟醸造り工程をご紹介いたします。
2013/12/25
秋田の風土の秘密
秋田県は古来より森林、鉱物資源、海産物、米、水に恵まれ、台風等自然災害及び戦乱が少なかったため、生活は比較的豊かでした。北緯40度、東経 140度に広がる 11,609km2の土地面積があります。 南北に縦走する奥羽山脈と出羽丘陵は県内を海岸部と内陸盆地に二分し、冬の北西季節風は強い寒気をもたらしています。 秋田の酒造りは11月頃、冬の到来とともに始められ、やがて12月から2月にかけての最も寒い時期が最盛期となります。降雪により空気は清浄化され、雪に埋もれた酒蔵は酒造りに好適な室温が大きな変化もなく保持され、この環境のもとで清酒の醪(もろみ)は低温長期の醗酵経過をたどり、きめ細かな秋田の酒ができあがるのです。
2013/12/19
秋田の水の秘密
世界のお酒の中でも日本酒ほど水を厳しく選ぶ酒はないと言われています。水の中にはいろいろな無機質成分が含まれていますが、その成分によっては酒造りや酒の品質保持の面で悪い影響をおよぼす場合があるため、おいしい日本酒を造るには良質な水が欠かせません。 酒造りでは洗米、仕込み、瓶詰め用と原料米の重量に対して20~30倍の水が必要とされますが、中でも仕込みに使う水、そして割水といって最後に加える水の質が重要とされています。味、におい、濁りがないことは絶対条件ですが、こうじ菌や酵母菌の発育に必要なミネラル分が適度に含まれており、酒質劣化の原因となる鉄分やマンガン、有機物が少ないことなども大切な要件となります。 灘の「硬水」に対して秋田の水は全般に「軟水」であることから、その特性により、まろやかで決め細やかな酒を造りだしているのです。
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